ゴールデンウィーク頃に実施された、お受験塾でのテストで、たまたま好成績を残したチビは、その後伸び悩みを経験しているようです。
■伸び悩みが意味するところ
4月から5月は、チャレンジ問題にとりかかるタイミングらしく、幼稚園児にはかなり難しいだろうと思われるような問題に取り組んできました。
チャレンジ問題へは、かなり対応できるようになってきたものの、それに同期する様にして、簡単な問題を間違えるようになりました。
こんなに簡単なはずがない、ということなのか?こんなの簡単に解ける、という油断なのか?しかし、1月2月であれば全問正解していたような問題、例えば、指定された形を数えるような問題の正答率が50%〜70%という感じです。
指定された形の数を数える問題では、1つ1つ消しながら、数え漏れがないように数えていくことがコツです。しかし、その消し方が雑なので数え漏れをするケースが散見されます。
指定された形のうえに斜線を引くわけですが、この斜線が薄かったり、形の真上に書かれていなかったり、そういう「雑」として現れるわけですが、結局は、数え漏れが原因で間違えてしまいます。
想像しますに、こんなの簡単だ、という油断が原因で、斜線を雑に描き、しかも数え漏れしてしまうということなんではないでしょうか?
勉強を見ている親の方も「何で、こんな問題を間違えてしまうのか?」と苛立ってしまい、親子ともども険悪な雰囲気になってしまいます。
■学力アップの段階なのか?
たまたま1回だけ好成績を取ったというだけで、こんなの簡単だと油断して、数え漏らしてしまうということ自体、まだまだ学力がついていないという証拠なのであって、そもそも「伸び悩み」と表現してしまうことすら、おこがましいことかもしれません。
とは言え、現在の状態を冷静に考えますと、これも学力アップのひとつの段階であると捕らえるのが前向きなのではないかと思います。
幼稚園児は、覚えるのも早いですが、忘れるのも早いようです。一度コツをつかんでも、1ヵ月後にそのコツを覚えているとは限りません。ただし、一度つかんだコツなら、思い出すことはできます。忘れては思い出すことを何回か繰り返すことによって定着するとしたら、その段階をやっと1つ上ったということなのではないでしょうか?
■満点を取るのは難しい
簡単なテストでも満点を取るのは結構難しい。それはつまり、どんなに簡単な問題でも、慎重にやらないと間違えることがある、ということなのですが、これに気がつくことは重要なことです。
私自身、このことに気がついたのは中学(高校受験)の時だったと記憶しています。それを幼稚園児に要求するのは、いかにもハードルが高い。だからと言って全く気がつかなくてよいことではないと思います。
小学校を受験するまでには間に合わないかもしれませんが、大学受験まで続くこれからの生活においては、「簡単な問題でも慎重に拾っていく」こと、そのトレーニングをしておくことは、必ずやプラスに働くことと思います。
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- 2008/05/27(火) 23:45:12|
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年長になる上のチビは1年ほど前から練馬のお受験幼稚園に行っております。年長になりこのところ頻繁にテストが行われていますが、ここ数回のテストでは決まって偏差値50を取っている状態です。
直近はゴールデンウィーク中に実施されまして、今回のテストについて本人曰く、「簡単だった」と言っておりまして、だからと言ってどんな問題が出たか?と聞くと「忘れた」と。これを聞いて「ああ、今回も偏差値50か」と思っていました。
一昨日、テストの結果が返ってきまして、上位から5番以内という驚くべき好成績を残しました。初めての体験です。
■本人の最近の変化
ゴールデンウィーク前の2週間くらいのことです。ちょうど私が仕事のピークだったこともあり、朝の勉強を見てあげる気力が全然なく、ぎりぎりまで寝ていることが頻発しておりました。
そんな中、久しぶりに(1週間くらいぶりに)勉強を見ておりますと、どうもいい調子です。ちょっと難しい問題もスラスラ行く感じ。スピードも速くなって来ました。急に分かるようになってきたのではないかと感じておりました。
■学力の上がり方
私が大学受験を経験した際に何度か聞きましたし、自分自身その通りだと感じているのですが、学力の上がり方は、比例的(y=ax)ではなくて、階段式(y=[x])です。つまり、一定期間の小康状態の後、ぽんっと上がる、その繰り返しであるということです。
# 余談ながら、y=[x](ガウスエックスと読む)とは、y はx を越えない最大の自然数、という式でありまして、階段式のグラフになります。
毎日同じように勉強をやり続けても、「費やした勉強量に学力は比例しない」というところが肝です。ただし「勉強量が費やされていなければ学力は上がりません」。
一般的に「こんなに勉強しているのに成績が伸びない」と悩むわけですが、それは、学力の伸びは階段式であることからくる特有の悩みということが分かります。
■実体験としての「階段式」
まさに私の大学受験における学力の伸び方が、階段式でした。
現役時代に頑張ったことが一浪した直後の5月頃の模擬試験で今までにない好成績となって出ましたが、その後、半年以上にわたり小康状態が続き伸び悩みました。センター試験直前の12月下旬になって急に分かるようになり、センター試験では、今まで取ったことがないくらいいい点をゲット。そのままの勢いで二次試験も乗り切りました。
一浪中、毎日何時間も勉強していましたが、学力が伸びたのは5月ごろと12月ごろだけであり、それ以外の時期は、いい成績を残し始める同級生(予備校の)がドンドン出てくる中で、辛抱強く勉強を積み重ねているような状態でした。
■親は一喜一憂しない
学力が階段式に上がるならば、学力が上がった直後は必ず好成績を残しますし、またその直後必ず伸び悩みを経験するはずです。
自分が伸び悩んでいるうちに、周りのライバルたちの学力もポンっと上がってきますから、どんどん追いつかれまして、相対的に成績は下がっていくはずです。
お受験も「夏が天王山」という話は耳にします。その時期に「ポンっと学力が上がる」子供たちがたくさん出るということだと考えられます。
夏ごろに学力がポンっと上がる子供が「たくさん」出るということは、そこから更に学力を上げることができた子供だけが合格を拾えるということでしょう。もう一段階の学力の伸びが必要ということです。
このように考えていくと、上のチビがテストで5番以内を取ったからと言って、軽々しく喜んでいては、ぬか喜びになってしまうことが分かってきます。
上のチビの場合、学力がポンと上がるタイミングが夏よりもちょっとだけ早く来た、というだけのことであり、ここからの伸び悩み時期にドンドン追いつかれ成績が下がっていき、更に学力を伸ばさねばならなくなるというだけの話です。
たまたまテストでいい成績が取れたからといって、親は一喜一憂しない。これは親である自分自身に対して言い聞かせている言葉です。言い聞かせていないと、いとも簡単にぬか喜びしてしまいそうです。
まだまだ積み重ねるべき勉強量には達していないはず。たゆまなく努力を積み重ねていくしかないと改めて感じる訳です。
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- 2008/05/10(土) 07:14:37|
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5月6日は小学受験統一模試のために、年長のチビと一緒に新狭山の西武学園文理小学校に行きました。 家内は、下のチビ(年少)と一緒に家で留守番です。
■勢いがなぜ重要か?
子供たちが模擬試験を受けている間、父兄は副校長先生から学校説明を聞くことができました。設立5年目の新しい学校ということもあり、教育に対する積極的な取り組みと、勢いを感じました。
この勢いというものは、バカにならないと言いますか、むしろ重視すべき点と考えています。「勢いがある」ということは、「その組織が旬な時期である」ということと同じだろうと思っています。
何事においても、「生まれ、旬があり、そして枯れていく」というサイクルがあると思うのですが、属しているその組織が、まさにそのとき「旬か?否か?」によって、その組織から得られるものが全然違うと考えています。だからこそ、「旬=勢い」は重視すべきと考えるのです。
■英語のシャワーは有意義か?
西武文理は設立5年目の新しい学校です。このような後発の学校は独自性を打ち出さない限り、他校との差別化ができないので、一般的に思い切ったことをする傾向にあると考えられます。
その意味で西武文理は他の例に漏れず、かなり独特の教育方針を持っており、「英語のシャワーで国際的エリートを育成」と謳っています。
小学校の段階から英語教育に積極的に取り組みます、ということなのですが、そのこと自体は、たいして評価するに値しないと考えています。
そもそも、何語であろうとも「何を話すか?」が最も大事です。「何を話すか?」のベースとなるのは母国語であり、その母国語がしっかりしていない段階で外国語を身につけたとしても、話すべき内容が伴わないと考えるからです。
■西武文理の副校長先生の話
西武文理の副校長先生の話は、英語への積極的な取り組みよりもむしろ日本的な躾や日本語教育の部分が多くを占めていました。この話を聞きまして、次の2点を理解することができました。
(1)英語教育は日本語教育と同時並行で進められていること
(2)彼らも試行錯誤の途中であること
(かなり偉そうな言い方になってしまいますが)私は西武文理を、この2点において評価します。
まず(1)ですが、すでに書きました通り、母国語をベースに物事を理解する力をつけていくことを重視しているので、日本語や、その日本語がベースにしている日本人が持つ独特な考え方、常識、美意識みたいなものを身に着けることが重視されていることを、よいと感じました。
その上で、英語が味付けされているならば、これは我が家の教育方針と合う(我が家も何気に海外志向が強いのです)と思いました。
次の(2)ですが、試行錯誤の途中であることを先生の側が認識していることは、決して悪いことではないと思っています。なぜならば、今後継続して、教育の質の向上が見込めるということと同じ意味だと考えられるからです。
アメリカの歴代大統領が英語で貼りだされているのを見たときは、かなり嫌な感じがしましたが、 西武文理を後にするときには、結構好印象を持っておりました。
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- 2008/05/06(火) 17:12:42|
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練馬のお受験塾のママ友達の会話について、家内から報告受けました。
どういう成り行きか、お父さんの学歴の話になったと。家内いわく「ほとんど○○大学でした。さあ、どこでしょう?」
「東大?」「正解!」ということで、半数以上が東大だったようです(ちなみに私は東大出身ではありません)。うち一人は東大病院の先生だと。家内とは、そのツテは大事にしたほうがいいなどと全然関係ない方向に話が行ってしまいましたが、いずれにしましても、東大理三って、いまだかつて会った事もないので、それはそれでびっくりしました。
家内が私に質問します。「東大出身のお父さんも、今の子供たちと同じように、幼いころから受験を通ってきたのだろうか?」
これに対する私の答えはYes。
小学校受験かどうかは別にしても、最低でも中学受験は通っているはずであり、自分の子供もいずれは受験を通らねばならないと覚悟を決めている人たちなのではないでしょうか?かつ、受験を通して勝ち得た結果、例えば東大出身という果実の恩恵を十分に受けている人たちだと考えるのが妥当でしょう。この手の国立大学出身お父さんは、早慶に対する否定的な立ち位置も共通しているようでした。
しかし、50%以上が東大出身というパーセンテージは、私自身いまだかつて経験したことがない数字と思いました。官僚などはそれ以上の確率で東大出身者がいるんでしょうが、私の周りや過去属した組織(例えば高校のクラス)では、こんなに高い比率で東大出身者がいることはありませんでした。それだけ、「お受験」と「親の学歴」は相関関係があると考えるべきなのでしょう。
とはいえ、私は「持って生まれた素質」という考え方に否定的です。
よくできるお受験生を見て、またその父親の学歴を聞いて、「素質」を肯定することはいとも簡単です。しかし、自分含め多くの人たちは、自分を第三者的に省みれば「自分が得た結果は、努力を通して積み上げた結果だ」ということを認めざるを得ないと思いますし、まあ結局のところサラリーマンだったりするので、普通の人なのを認めざるを得ない訳です。
飛びぬけた素質があるとは言えない普通の人(せいぜい、ちょっと頭がよいと言われたことがある程度)である我々にとっては「能力はトレーニングによってのみ磨かれる」と考えたほうが、間違いなく建設的だと思います。だからこそ「素質」で片付けようとする議論には否定的です。
うちのチビを見ていて、子供特有の「抜群の記憶力」に驚くことがありますが、これはこの年頃の子供に共通したことであって、うちのチビだけに与えられた才能ではありません。要するに、うちのチビも(ちょっと残念なことではありますが)私と同様に、普通の人間のようです。
ですから、地道にトレーニングを重ねるしかないのだよ、と家内に言って聞かせるわけです。
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- 2008/04/29(火) 09:32:31|
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後ろ手チョウチョ結びについて、家内と議論になりました。
家内は、チビ(年長;男)にエプロンを着せ、後ろ手にチョウチョ結びをするところに、色々とアドバイスをしています。「手はこう。ここはもっと大きく。」とか何とか。なかなかうまくいかないこともあって、家内から「お父さんにコツを教えてもらいましょう。」という無茶振り。
この無茶振りを受け、「チョウチョ結びを後ろ手にできるか?は想像力の問題だから、そもそも前でチョウチョ結びがしっかりできることが重要だ。」と思いまして、とにかく前で巧く結べるようになろう!と教えました。
ここで家内と意見が分かれました。家内いわくは、前でやるチョウチョ結びはすでにできる。問題は後ろ手にできないということであって、これができるようになるためには、後ろ手のチョウチョ結びを重ねて練習するしかないと。
そこで私が「いやいや、見えないところでチョウチョ結びができるか?は、頭の中(想像)で結べるか?頭の中と手がしっかり連動するか?にかかっているのだから、徹底的に(前で)チョウチョ結びを練習すべきだ。」というと、休みの日だけ急に出てきて無責任なことばかり言って!という険悪な雰囲気になってしまいました。
家内と二人でどうのこうの言い合っているうちに、はっと気づくと、そんな険悪な雰囲気を敏感に察知したチビは、洗面所のほうの死角に座り込んで、一人でだまってチョウチョ結びの練習をしていました。
それを見て、お父さんとお母さんが、子供の前で揉めるのは悪いことだと、改めて申し訳なく思いました。
さて、家内との議論は、最終的には、「じゃあ、塾の先生に聞こうじゃないか!」ということで、その場は収集したわけですが、塾の先生の「女の子はエプロンの後ろ手チョウチョ結びまで練習しましょう。男の子は前でできればよいです。」というコメントで、その結論は分からずじまいとなってしまいました。
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- 2008/04/27(日) 10:14:23|
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